2009年9月20日日曜日

Ubuntu日本語フォーラム(沈静化?)

Ubuntu日本語フォーラムですが、最近は沈静化してきたような気もしますな。
荒らしとはもちろん違いますが、相変わらずの方もいらっしゃるようですけど。
善意って難しいんですよね。
善意を持った善行を行うことが、ってことですけど。
自分にとっての善行なら、そんなに難しくはないですよ。
言ってしまえば、ヒトラーだって、最初は自分の善意で、戦争を始めたんでしょ、ってことで。
難しいのは、自分が善意の善行だと思っている行いを、他人もきちんと認めてくれるか、ってことです。
認められない善行は、ある意味悪行よりたちが悪いというか。
悪行を行う人って、ある程度は、それが悪行と知って行うと思うんですよね。
でも、善行を行う人って、「自分にとっての善行」なので、悪意はちっともないんですよ。
結果的に他人にとっての悪行になったとしても、それを指摘されない限りは、悪行であったと気付けない。
なので、ある程度の多数にとっての善行ってのは難しいな、と。

困ってる人に手を差し伸べるのはもちろん悪いことではないので、それはどんどんやってよいと思うんですが、場の雰囲気を見定めることも必要なのかな、と。
以前にKYなんて言葉が流行りましたけど、フォーラムや掲示板なんかでも、そんなのは必要な能力なんだなぁ、なんて思ったりします。

文字だけの情報って、読まないと取捨選択が出来ないので、なるべく簡潔に短い方がいいんですよ。
フォーラムなんかの回答の場合、ベストは、「やることを箇条書き」だと思うんですね。
もちろん、そのように書いていらっしゃる方もいて。
きちんと相手に対しての思いやりを持てている人なんだなぁ、と思ったりしてましたが。
そうじゃなく、例えばワタクシのブログのように、話すように書く、方もいらっしゃいまして。
実は、問題解決のための書き方としては、あまり望ましくないんですねぇ。(笑)

相手が欲しているのは、おそらくは、「見て解る」ことなんだと思うんですよ。
読んで解る、ではなく。
なので、短く。簡潔に。相手に解る言葉で。が初心者相手の基本でしょうね。
相手は初心者だから、説明もしてあげよう、ってのは、まあ、気持ちは理解できますが、ある意味で「余計なお世話」になりがちなんです。
「やること」だけでもいっぱいあるのに、さらに「説明」までされてしまっては、相手に与える情報が多すぎて混乱の元になります。
この辺、うまい方もいて。
問題の対策は簡潔に伝えて、解決してから、なぜ解決出来たのかを説明してる方も。
これなら、あいても問題が解決した安心感から、説明を読んで理解しようとする気持ちの余裕が生まれるので、うまいやり方だと思いましたね。
まあ、駄文が長くなりました。

このまま、沈静化するといいんですけどねぇ。
Japanチームの人も大変だわ。

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