2009年8月14日金曜日

無知を責めてはいけない。

誰にだって知らないことはあるので、知らないことを責めてはいけない。
責めるべきなのは、知っていてもやらないことである。
例えば、イジメを見て見ぬふりをする。これは責められても仕方ない。
でも、例えば、隣町の小学校でイジメがあることを、ある町の小学生が知らなかったために、なんの手も打てなかったとして、これは責められる筋合いのことではない。

知らないことは、知ればいいだけなので、知らないことを責めるのではなく、こういうことですよ、と教えてあげる責任が年長者とか熟練者にはあるんだと思う。
一方で、知るべき責任を放棄したことは責められるべきことかもしれない。
例えば、部下の失敗に対して、「知らなかった」という上司は責められても良い。
部下が何をしていたのか、把握する責任が上司にはあるはずだからだ。
報告の義務を怠っていたとしたら、(そして報告をする義務があることを部下が知っていたら)その点だけは、部下が責められても良いかもしれないが、責められるのはその点だけである。
ましてや、新入社員などで、十分な教育がなされていない場合には、報告の義務すら知らない場合が考えられるので、それは十分な教育を行っていない、上司、または会社の責任である。

いずれにせよ、知らないことを、知らないだけで責められる風潮があったりするが、それはおかしい。
知らないことは仕方ないし、知らないことに対して何らかの対策を行うことは不可能なのである。

なので、知らないことを責めてはいけない。知る必要があることを教えて、知る手段を教えて、次からは同じ過ちを起こさないようにするべきではあるが、「知らない」という事実をあげつらって、責めるのは間違いである。

繰り返しになるが、「知っていてやらない」のは責められてよい。むしろ責められるべきである。
例えば、犯罪者。法律を熟知してはないとは思うが、社会的に冒してはならないことを、「知っていて」行ってる場合がほとんであろう。これは責められてよいし、裁かれるべきである。
有り得ないとは思うが、生まれてから一度も社会に出ることがなく、まして他人と関わったことがない人間がいて、それが日本の方を冒した場合、本来これは責められるべきではない。責められるべきは、その人間を管理している人間であろう。
しかし、裁かれるのはやむを得ない。
#また別の議論であろう。

ネット上では、「知らないこと」を責める人が多すぎる。

0 件のコメント:

コメントを投稿